福音と世界 2008年11月号
内容紹介
「あなたがたが『見える』と言い張るところにあなたの罪がある」(ヨハネ9:41)。
1. 新たな排除(切り捨て)?
「日本プロテスタント宣教150周年……」を耳にするとき、どうしてもそこに排除の匂いを嗅いでしまう。それは私どものひがみであろうか。何故ならば第一に、我々沖縄にとっては、来年はプロテスタント宣教「163週年」であるからだ。英宣教師バーナード・J・ベッテルハイムが琉球那覇に上陸し宣教を開始したのが1846年5月のことであった。これは沖縄にとって決して動かすことのできない、あえて言うならばプロテスタント宣教史上の輝く記念碑である。因みにベッテルハイムなくして筆者の所属する今日の沖縄バプテスト連盟30教会2千余もの信徒は存在しない(「沖縄バプテスト百年史」1993、5頁)。
照屋善彦琉球大学名誉教授は次のように述べておられる。
「日本近代の幕開けの契機をつくったペリーと本邦におけるキリスト教プロテスタント伝道の開拓者となったベッテルハイムが、ここ琉球で出会ったという歴史的事実が私の論文執筆の動機の一つでありました」(『英宣教師ベッテルハイムーー琉球伝道の九年間』2004年)と。
第二に、本土の各教派団体におけるベッテルハイム外しの理由づけが、殆んど無知と無理解と先入観によるコジツケに近いからである。ベッテルハイム伝道の詳細な足蹟についてはここでは深く立ち入らない。又その器でもない。それについては、照屋善彦教授の上記著書及び本誌掲載の論考をお読み戴ければ充分納得のいくことと思う。ただ、次の点は申し述べておきたい。