福音と世界 2012年8月号
内容紹介
米軍は昭和20年3月26日に慶良間の座間味、慶留間に上陸しました。両島ではその日に慰霊碑の前で「集団自決」が起こりました。渡嘉敷には27日に上陸しましたが、その晩我々は島の北部に移動させられました。その日は豪雨でしたが、びしょびしょに濡れているという感覚はまったくなかったです。恐怖心に支配されていたのです。なんとか夜明け頃に日本軍の北山(にしやま)陣地の近くに着いて、軍命で村長のもとに一箇所に集結させられた。重要な点は、移動の当初から「集団自決」命令が下されるまで、住民が他の場所へ移動することがなかったことです。軍命を待つ体に釘づけにされたわけです。たまたま住民が集まっているところへ軍命があったかなかったかの議論は現実からかけ離れた空論になってしまいます。ともかく、そこへ軍は防衛隊を派遣して、村長に「軍から命令が出ました」と伝達があった。それを村長の横で聞き目撃したのが、役場の職員で、私の同級生の吉川勇助君です。でも爆音やら砲弾の音がうるさいものだから聞き取りにくかった。村長は「何だって?」と聞き返す。「いや、命令が出ました」と繰り返したということです。だから、軍命は歴史的事実であり、議論の対象ではないのです。このやりとりは、私が『「集団自決」を……』を書いたときは私自身まだ知りませんでした。